大判例

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仙台地方裁判所 昭和27年(行)12号 判決 1952年9月03日

原告 大森広志

被告 宮城労働者災害補償審査会

被告 石巻労働基準監督署長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は原告に対し、(イ)被告石巻労働基準監督署長嶺岸充が労働基準法第八十五条第一項によるものだとしてした昭和二十六年七月三十一日附審査決定、(ロ)被告宮城労働者災害補償審査会が同法第八十六条第一項によるものだとして、した昭和二十七年二月二十二日附審査決定を何れも取消す。訴訟費用は被告等の負担とするとの判決を求める旨申立て、その請求の原因とし、杣夫訴外大森四郎作が昭和二十六年一月十五日宮城県登米郡横山村大字南沢字伊具山林で伐木中負傷し翌々十七日死亡したところ、被告石巻労働基準監督署長は同年七月三十一日「同訴外人は原告の使用人であり、業務上負傷死亡したものであるから原告は同訴外人の遺族四郎一、大森喜美子に同法第七十九条による補償として金十七万六千五百七円九十六銭を支払わなければならない」という審査決定をしその旨原告に通知した。しかしながら、同訴外人は、右受傷死亡当時訴外大森富之進の使用人であつて原告の被用人ではなかつた。仮りに原告の被用人であつたとしても重大な過失により負傷死亡したものであるから原告は叙上のような遺族補償をしなければならない義務を負担しない。そこで原告は該決定を不服とし同年八月十五日被告宮城労働者災害補償審査会に審査の請求をしたところ昭和二十七年二月二十二日これ又却下の決定を受け同年四月十七日決定書の送達を受けた。しかしながら、これらの決定は何れも審査を尽さず事実を誤認して為された違法不当の甚しいものである。よつてここにその取消を求めるため本訴に及ぶと陳述した。

被告指定代理人は先ず主文同旨の判決を求めその理由として、凡そ行政処分の取消変更を求める訴訟は該処分が国民の権利義務に直接法律上の効果を齎らす場合に限り認められそうでない場合、例えば行政庁の好意的注意、勧告、戒告、希望等の取消変更を求める訴訟は法律上是認さるべきではない。そして原告が本訴を以て取消を求める行政処分は何れも災害補償に関する紛争をできるだけ簡易迅速に解決させるため、設けられた一種の勧告措置に過ぎず直接国民を拘束するものではない。従つて仮りに原告主張のような審査決定が為されたものとしても固よりこれにより原告は災害補償をしなければならない法律上の義務を負担したわけではない。即ち原告は本訴を以て権利保護を求める実益を有たない。よつて本訴請求は理由がないと述べた。

理由

よつて今先ず、原告主張の行政行為の取消を目的とする訴の当否如何について考察する。

なるほど労働基準法第八十五条第八十六条第一項によれば労働基準監督署長が審査の結果被用者の死亡を業務上の死亡に認定し遺族補償額を決定した場合においてこれに不服がある当事者はその理由を具申して更に労働者災害補償審査会に審査の請求をすることができ同審査人は審査の結果原決定を取消変更又は維持する旨の決定をすることができることは洵に明瞭であり、これらの認定又は決定も行政庁の意思表示である以上行政行為の一種と観なければならないことは勿論で従つて他に特段の事情がない限りその取消変更を求めるいわゆる抗告訴訟を提起することができるものといわざるを得ない。よつて右特別の事情の有無について観ずるに、

(イ)  一般に労働者は社会、経済上使用者と対等の立場にあり(労働組合法第一条)両者の取引交渉は本来私法上の関係に過ぎず、従つて労働者の死亡による遺族補償というようなこともかの労働者災害補償保険法による救済と異り本来当事者双方の自治的解決又は民事上の紛争解決手段に委ねなければならない事柄であり、行政庁が濫りに権力を以て干渉すべき事項ではない。

(ロ)  労働基準法第八十六条第二項が「この法律による災害補償に関する事項について、民事訴訟を提起するには、労働者災害補償審査会の審査を経なければならない」と規定し、労働者災害補償審査会の審定に対し不服がある者は行政訴訟により匡救を求める必要がなく従つて又求めることができない、趣旨を暗示している。そして、叙上審査会の決定を不服として民事訴訟を提起することができる者は、被用者ばかりでなく使用者をも包含することは議論の余地がない。

(ハ)  今若し、原告主張の行政処分に対しその取消変更を求める行政訴訟をも提起することができるものとせんか。行政訴訟の確定判決と民事訴訟の確定判決とが互いに粗齬する場合その取扱に相当困難な問題を生ずることは想像に難くはない。立法者がかように当事者をしてその帰趨に迷わせるような措置を果して意識的に採つたものといえるであろうか。即ち立法者が裁判の威信を失墜させるような結果を期待するものと観ることができるであろうか。恐らく、否と答えざるを得ないであろう。

(ニ)  なるほど同法第百十九条第一号によれば使用者が同法第七十九条所定の遺族補償を怠るときは六箇月以下の懲役又は五千円以下の罰金に処される。しかしながら、同法第百十九条は「第七十九条」に違反した場合右罰条に触れる旨規定しているだけで使用者が「労働基準監督署長又は労働者災害補償審査会の審査決定」に違反した場合右罰条に該たるとは規定していない。従つて使用者がこれらの審査決定に違反して補償しない場合でも、ただそれだけの理由では必ずしも右罰条に触れるものということができない。使用者が同法第八十六条第二項により、遺族補償債務不存在確認の民事訴訟を提起しその敗訴の判決が確定したにかかわらず、なお、且つ、右補償を肯んじないというような場合始めて右罰条に該るものと観ても必しも後くはない。即ち何時使用者が叙上違反行為を敢てしたかという認定は捜査官署又は刑事裁判所の専権に属し濫りに他の行政庁又は民事裁判所の容啄すべき事柄ではない。従つて叙上罰則が設けられてある一事は以て採つて本件行政処分の取消変更を求める抗告訴訟を提起することができる論拠とするに足りない。

(ホ)  均しく労働者保護の規定でありながら、労働者災害補償保険法がその第三十五条以下を以て保険審査官の審査決定に対する上級庁たる労働者災害補償保険審査会の審査決定に対し、不服がある者はその取消変更を目的とする行政訴訟を提起することができる旨定めなおその取扱につき詳細な規定を設けているにかかわらず、労働基準法においては本件のような行政処分につき不服がある者がその取消変更を目的とする行政訴訟を提起することができるか否かにつき何等の規定をも措いていない。却つて前述のように遺族補償に不服がある者は一定の手続を経て、民事訴訟を提起することができる旨規定している。

(ヘ)  労働者災害補償審査会の決定に不服がある使用者又は被用者が互に他方を被告として民事訴訟により救済を求めることができること前段説明のとおりである以上、右決定に対し更にその取消変更を求める行政訴訟を提起することができないものとしても毫も使用者又は被用者の権利を害しない。即ち憲法第三十二条にいわゆる基本的人権(裁判所において裁判を受ける権利)を害するものではない。

(ト)  元来行政行為の取消変更を求める訴訟の確定判決はその事件について関係の行政庁を拘束するに過ぎない(行政事件訴訟特例法第十二条)。従つて今仮りに原告主張のような行政訴訟を提起することができ原告勝訴の判決が確定したとしても該判決の効力は原告と、関係行政庁とに及ぶだけで毫も遺族補償権利者には及ばない。従つて原告にして依然右遺族補償を拒む以上、該権利者は更に原告を相手方として補償金の支払を求める民事訴訟の提起一般調停の申立等の方法による以外権利実現の方法がない。又この場合原告においても、更にこれらの方法により遺族補償債務の不存在の確認を求めることができるわけである。然らば原告主張の行政訴訟は結局無用の長物であるばかりでなく否、寧ろ有害無益な変態制度に堕し了るであろう。立法者が果してかような愚を演じたものと観なければならないであろうか。否と答えざるを得ない。

以上(イ)乃至(ホ)の事理を彼此照合考察すれば竟に原告は本訴判決により法律上保護される利益を有たないものといわざるを得ない。では何故立法者が労働者遺族補償につき労働基準法第八十五条第八十六条を以て労働基準監督署長及びその上級庁たる労働者災害補償審査会の審査決定、仲裁制度を採用したか。それは、元来労働者の業務上の死亡による遺族の救済というような事柄は、一刻も早く取り運ばなければ人道上由々しい不詳事を惹起する虞があるからに外ならない。即ちかような救済は使用者において孤疑悛巡、荏苒日を空しうするを許さないものであるところ、何分劃期的新制度のこととて関係法規に暗く、ために労働者の死亡が業務上のそれであるか否かの認定補償金額の決定等につき敏速果敢な措置を採ることができない場合は寧ろ多いから日頃当該監督官署として労資双方の状態を凝視探査知悉している労働基準局長又は労働者災害補償審査会の後見的勧告、顧問的指図、好意的注意により関係当事者の孤疑不安を一掃し、遺族補償の実を寸刻も早く挙げさせるために外ならない。この場合これらの事件の解決をこれらの行政庁の努力に俟たないで直接裁判所の手に委ねなければならないとすれば如何。「訴訟は金なり、時なり、否術なり」という巷諺にもあるとおり到底迅速効果的の解決を観るに至らず、殊に経済的弱者たる労働者の遺族が訴訟を遂行する資源、気力を失い可惜本来権利を有ちながら結局「小人玉を抱いて罪あり」の類いに漏れない悲劇に了る虞れがないでもない。かくては法律が折角労働者遺族補償制度を設けた趣意は全然没却されるに至るであろう。反之、叙上行政庁の審査決定は遺族補償の要否及び程度につき使用者及び労働者遺族を啓蒙安堵させ、事件の早期解決に寄与し延いて労資双方の親睦共栄に資するところ、洵に甚大なものがあり、その経済的効果は二番式茶民事訴訟確定判決のそれの到底及ぶところではない。立法者の燗眼真に恐るべきものがあるといわねばならない。然しながらこれらの行政行為はどこまでも、所轄行政庁の啓発、教導、忠告の域を出でずそれ自体使用者及び労働者の遺族を法律上直接拘束するものではない。(ただ、立法者が叙上の見解を親切に明文を以て規定して措いたならば本件のような訴の提起を見ず従つて関係者も無用の手数、心労失費を累ねる必要はなかつたものと嘆ぜざるを得ない。そして立法者が立法技術の拙劣さからかような暖味な表現を用い、ために運用者又は関係人に不測の損害を被らせた場合、その責任の有無如何帰属如何は可成り面倒な、しかし、興味がある課題であるけれども、今は茲でこれを論議する時期ではない。)

果して然らば原告の本訴請求は既にその前提において理由がないものと認め(本訴はこれを「許すべからざるもの」「不適法なもの」即ち「訴訟条件を欠くもの」として却下しなければならないものであるかあるいは又「理由がないもの」として棄却しなければならないものであるかについては多少疑問がないでもない。しかし、本件は訴訟の形式は一応整備されたゞその目的自体が法律上有意義かどうか、即ち、法律上保護に値するかどうかという問題の論議判断であるから本案実体の審判領域に一歩を踏み入れたものともいうことができる。従つて「理由がないもの」と観ずるを相当とする)訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十五条に則り主文のように判決する。

(裁判官 中川毅)

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